コラム

2024/08/22 コラム

鑑別所の桜

1 弁護士事務所にて

 母親「確かに私どもは、母子の二人暮らしです。しかし、私は娘にはできるだけの教育を受けさせてきましたし、娘の成績は他のお子さんに比べても、全くひけをとりません。どうしたというのでしょう。こんなことで、家名に泥を塗って許しません。」

弁護士「お嬢さんは、確かに成績もよく、他に問題があるようにも見受けられないのですが、どのような生活環境であったかもう少し詳しく知りたいのですが。」

母親「私どもは、まじめ一方の家庭だと思います。それにしても、こんなことをしでかすなど世間にみっともなくて、明日、鑑別所に会いに行って、ハッキリ言い聞かせます。」

弁護士「お嬢さんの問題は、警察に逮捕されたことが問題なのではありません。」

母親「とにかく、ハッキリと言い聞かせます。」

弁護士「今後の手順ですが、鑑別所の調査結果及び調査官による調査が裁判所に報告されて、裁判所が審判によって処分を決定します。教育の程度や性格、家庭環境生育歴、心身の状況等についての調査ですが、どのような処分が相当であるかの意見を調査官が報告するものです。お母さんが、鑑別所に行って面会することは重要です。この面会の様子も調査されます。」

母親「分かりました。明日行って来ます。」

弁護士「しかし、是非、次のことを守って下さい。第一に、何でこんなことをしたのかと言うことを言わないこと、家名に泥を塗ってなどとは口が裂けても言わないこと。第2に、お嬢さんの話をそのまま何の評価もせずに聞くこと。第3に、「お母さんは帰ってくるのを待っているよ」とだけ言って帰ってくること。」

母親「どうして、注意をしてはいけないのですか。こんなことをしでかしておいて、注意の一つもしないのでは親として恥ずかしい。」

弁護士「よく聞いて下さい。お嬢さんは、自分のしたことが悪いことだとハッキリと認識しています。警察でもおそらく何でこんなことをしたのかと言われています。つまり、逮捕されてから大人たちからみんなから注意をされているのです。これ以上、注意を聞かせても意味はありません。今彼女が求めている物が分かりますか。ですから、今言ったことを守れないなら、面会に行くことはやめて下さい。」

母親「どうしてですか。」

弁護士「できないのであれば、弁護のしようがありません」

母親「どうしてですか。弁護士なら何とかして下さい」

弁護士「いいですか。お母さん。彼女を守れるのは、お母さん、あなたしかいないのですよ。誰が何と言おうと、何の見返りも考えず、何の打算も思わず、ただ一心に娘を思うのはお母さん、あなただけです。あなたしかいないのです。」

 

2 鑑別所にて

 私は、母親が鑑別所に娘と面会してきたことを翌日知らされた。

私は、直ちに、裁判所に調査官を訪ね、調査結果の報告の内容を聞き出そうとしたが、調査は終了していないとのことで、めぼしい情報は得られなかった。

私は、鑑別所に向かった。鑑別所は、現在は住宅街の中にある静かなところである。地下鉄の駅から、なだらかな坂道を5分ぐらい歩いた中腹の、静かな公園の小さな門のような入り口を入ると、大きな桜の木がある。鑑別所は、この桜の木の後ろにある、大学の寮のような印象の建物で特段いかめしい趣はない。小さな窓口があり、ここで来訪を告げると、弁護士であることを確認され、所定の記入用紙に目的を記載して提出する。職員から、携帯電話のような小さい機械を受け取る。職員との連絡用のものだ。携帯電話やたばこは受付の隣にあるロッカーに入れてから、中に案内される。実は、この建物の裏に厳重に閉ざされた何棟かの建物がある。これが実際に収容されている施設である。施設内は、幾分違和感のある格子のついた小さな部屋と小教室のような部屋等がある。その一角に調査室という何の飾りもない、机と椅子だけのある小部屋があり、ここで本人に面会するのである。面会には、職員は立ち会わない。つまり、一対一で一つの机を囲んで、話ができるのだ。

 しばらくして、A子が職員に連れられてやってきた。前回面会したのは、鑑別所に入った翌日であったが、その時の様子とはかなり異なった、かなり落ち着いた感じであった。

職員が立ち去ってから

「どう、落ち着いた」

A子「うん」

「今、どんなことをしているの」

A子「いろんなテストとか、作文とか、日記を書いたり、」

「心理テストかな、作文は反省文みたいなの」

A子「今回のことで、自分の思ったことを書くように言われて」

「そう、それなら、自分の言いたいことや思ったことを今、私に話してくれるかな」

A子「うん、私は、今まで・・・・・」

 

「そう、ずいぶんいろんなことを考えたね。その内容でいいから、お母さんや私に手紙を書いてくれないかな。今話したことでも足りないこともあるかもしれないし、もっと言いたいこともあるかもしれないから。それに今まで、お母さんに手紙を書いたことはあるの。今までって、ここに入ってからということではなくて、小学校から今までにと言う意味だけど」

A子「ありません」

「そう、だったら、本当のこと、本当に考えたこと、無理に反省してますということではなくて、思ったとおりに、あるいはここでは書けなかったことでもいいから、書いてみて」

A子「はい、書いてみます。さっき話したことでもいいですか。」

「いいよ。それに将来何になりたいかなんかもあるといいな。」

A子「はい」

 小さな一羽の雀が、窓の外で、どうした訳か、我々を見るようにしてチュンと鳴いた。A子は、初めてにこりと微笑んだ。

 

「ところでね、お母さんが会いに来てくれたでしょう。」と言うと、

A子は、見る見るうちに、目にいっぱいの涙をためて、声を懸命に押さえて、小さく、そして静かに泣いた。

しばらく、私はそのままにして、落ち着いたころに、尋ねた。

「どうしたの。お母さんはどんな様子だったの」

A子「お母さんが、私の話を聞いてくれたの・・・・」

 

私は、この時、この少年事件は終了したと確信した。

 

職員に退出する旨を小さな機械で連絡すると、職員が迎えに来て、本人と別れ、鑑別所を後にした。ここに入ってから、2時間が経っていた。鑑別所を後にするとき、満開の桜にはじめて気がついた。さわやかな風に揺れる桜を見上げて、駅に向かった。

  以 上

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